木曽檜の価値
KATSUNO WOOD

価値ある木曽檜材をお届けしています。

木曽檜は長野県木曽谷の大変厳しい環境のなかで、4寸の柱を採取するまで90年、100年という贅沢な時間をかけ育つため、心地よい香気を放つ、細かく美しい木目を持つ木材です。耐久性と強度に優れ、加工も容易で狂いも少ないことから、世界でも指折りの優れた建材といわれています。

檜の耐久年数は、以下のようになっています。
天然木曽檜 400×3倍=1,200年
木曽檜 80年×3倍=240年
人工林(他産地) 20年×3倍=60年

檜材は、曲げ・圧縮・引っ張りのいずれの強度も、伐採後200年までは増大しつづけ、その後ゆっくり減少して2000年で元の強度に戻るといいます。私たちはこのようにすぐれた木曽檜を、自信を持ってお届けしています。


天然木曽檜の歴史と人工林木曽檜との関係

天然木曽桧と人工林木曽檜は親子関係である。

天然木曽檜:300年〜350年が主体(天然木曽檜は700年〜800年成長するといわれているのになぜ400年以上の木が少ないのか?)
400年前は"天下を取る"戦国時代。大阪城の大黒柱など豊臣秀吉ら戦国武将の私有財産である築城材として、切り尽くされたため700〜800年の寿命ながら400年以上の木がありません。

天正18年(1590) 豊臣秀吉、木曾氏領有地を直轄領とする。
慶長5年(1600) 徳川家康の直轄領となる。強度伐採始まる。
元和元年(1615) 尾張徳川領となる。築城、造船、土木用材等伐出。
明暦3年(1657) 江戸大火。復興材を伐出。
寛文5年(1665) 寛文の保護対策「留山(トメヤマ)※1」、「巣山(スヤマ)※2」を設ける。
宝永6年(1708) 檜を停止木(ちょうじぼく)※3とする。
明治2年(1869) 版籍奉還によって、尾張藩有林の全域が官林に編入される。
明治22年(1889) 木曾官林は、御料林となる。
明治39年(1906) 神宮備林設置。
昭和22年(1947) 林政統一。(現在の国有林となる)

木一本首一つ:遠く平安時代から、すぐれた建築材として知られていた木曽檜。とくに豊臣秀吉は、木曽谷を直轄領にして、木曽檜を築城などに利用しました。江戸時代には各地で城下町が繁栄し、木曽の山々から大量の檜が切り出されるようになり、木曽の山々は大変に荒れ、木曽檜も少なくなりました。そこで、木曽の山を管理していた尾張藩は「木一本、首一つ」という厳しいおふれを出して、木曽の檜を守りはじめました。その甲斐あって、今日の木曽檜の山々が蘇りました。明治時代から、木曽檜の山々の大部分が「御料林」と呼ばれる皇室の財産となり、戦後は国有林として厳重に管理されています。

天然木曽檜から人工林木曽檜へ:今から100年前頃(明治の末期から大正の始め)天然木曽檜精英樹(品質の優れた遺伝子を持った檜)を選び、その木から種を取り人工林の木曽檜の苗を作り、明治の先人が背中に苗木を背負って山へ植えました。
その非常に優れた耐久性と強度を受け継ぐ木が現在80年〜90年の木曽檜となり住宅建材に使われています。


※1:檜の優良林を小地域で指定し、住民の立ち入りを禁じたもの。
※2:鷹の巣を保護し鷹の育成を図るために設けたもので、やはり住民の立ち入りを禁じた。
※3:留山、巣山以外の「明山(あけやま)」においては住民の用材や薪の採取は可能であったが、明山においても伐採を禁止した木のこと。