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西の正倉院

所在地宮崎県東臼杵郡南郷村神門62-1
竣工平成8年5月
規模間口33m、高さ13m、奥行き9.1m
TEL0982-59-0556
交通電車:JR日向市駅から徒歩すぐの都町から神前行き宮崎交通バスで1時間15分、百済の館前下車、徒歩3分車:宮崎自動車道宮崎ICから国道10・446・388号を経て約95Km

奈良の正倉院の再現

西の正倉院は奈良の正倉院と同一品を含む貴重な文化財を有する博物館です。
校倉造により宝物を保管している奈良の正倉院。これを門外不出とされていた正倉院図を元に、寸分の違いもなく平成8年、宮崎県南郷村に再建されました。建築にあたっては、瓦の数から木材の寸法、内部に至るまで忠実に復元されており、造営材には、すべて当社の木曽檜使用しています。建物の中では、数多くの宝物の展示と、百済王族の歴史伝説が詳しく紹介されています。
再建にあたった大工の数は延べ9,831人、間口33m、高さ13m、奥行き9.1m。木曽天然檜2,000本使用した堂々たるたたずまいを呈しています。

伝説の文化財の里、南郷村

九州山地に連なる山々に囲まれた人口2,800人の南郷村は、滅亡した古代朝鮮の「百済」の王族が流れ着いた場所とされています。その王族の遺品として、銅鏡24面・馬鈴・馬鐸・須恵器の瓶・王族のものと思われる古墳などが実存するなど、一級の文化財をかかえている村です。
こうした伝説と文化財にもとづき、地域おこしとして「百済の里づくり」が進められており、村民の誇りとなり、地域イメージの向上につながる「西の正倉院」の事業が計画されました。
この計画はより本物に近いものを目指す「本物づくり」「こだわり」が基本理念とされたため、宮内庁の正倉院図をもとに設計し、鉄骨を一切使わず、高床を支える床柱は直径60センチの大径木が40本、校倉を構成する校木は長いもので約8m、末口が50cm。あわせて約800本、材積700㎥が必要でした。

造営材の準備

日本全国を奔走して探し回った末に、天理教本部の普請で材木を集めた実績と信頼のある勝野木材が依頼を受け、度重なる交渉の末、木曽檜を準備することができました。
使用された木材は全て木曽檜天然木で、機械製材して木取りをおこない、表面の見え掛かり部分は槍鉋仕上げにしました。含水率も18%を目途に乾燥したものが使用されました。そして、古建築の修復にかかわった名工たちの手で、平成4年に着工されました。

当初の経緯からも明らかなとおり、このプロジェクトは村民参加のもとで進められることが大切であり、造営材の搬入イベントとして「御木曳式」「手斧始式」「立柱祭」など伊勢神宮の伝統行事にならった催しがおこなわれることとなりました。

(上2枚)御木曳式の時に用意された勝野木材の木曽檜、(下)御木曳式

平成5年1月11日、村民総出の「御木曳式」がおこなわれました。木曽谷からトラック、フェリーによって到着した木曽檜は、当時(有)勝野材木店社長 勝野英一の木曽節の唄とともに南郷村に引き渡されました。これを受けて、田原正人南郷村村長(当時)が日向木挽き節で返礼。

そして九州初の御木曳式が行われました。5本の木曽ヒノキを5台の台車にのせ、道案内役である猿田彦を先頭に、保育園児からお年寄りまで約1,000人が、木挽き唄や木遣唄を唄いながら、荷車の綱を握り、木材加工場までの1.5kmの道のりを曳きました。

この時の参加者は見物人を入れると約1500人、村人口の半数以上が集まったことになります。「百済の里づくり」に結集する村民の熱気が村を包みました。